
Ryan Edbert Husni(フスニ ライアン エドバード)さん
所属:エーザイ株式会社 / East Asia & Global South Oncology Regional Medical Director
修了学位プログラム:人間総合科学研究科 生命システム医学専攻
取得学位:博士(Medical Science)
修了年度:2018年度(2019年3月卒)
インドネシア・ジャカルタの出身。インドネシアのPadjadjaran(パジャジャラン)国立大学医学部に入学し、医師免許を取得。卒業後インドネシアで2年ほど一般内科医として勤務後、人間総合科学学術院に入学。修了後はエーザイ株式会社に入社し、新入社員としてキャリアをスタートさせ、武田薬品工業への異動を経て、再びエーザイに戻り、現在のポジションを務める。
――日本への興味と博士後期課程を目指したきっかけを教えてください。
インドネシアの医学部時代から、すでに日本に対する興味がありました。インドネシアでは昔から日本の文化が非常に人気で、漫画や食べ物、ドラマ、アニメなどに触れる機会が多くありました。ただ、当時のインドネシア人から見ると「日本は物価が高く、高額な国」というイメージがあり、夢は夢のままでした。
そんな中、2008年(当時、医学部の5〜6年生の頃)に「アジア医学生学会」という国際学会があり、大学代表として選ばれて初めて日本を訪問しました。韓国、台湾、中国など、そして日本の医学生たちと交流し、異文化の面白さを感じるとともに、「やっぱり日本は素晴らしい国だな」と実感しました。
プログラム自体は1週間ほどで、終了後はインドネシアに戻り医師として働いていましたが、すでに日本の博士後期課程に留学していた医学部の先輩から、「ライアンさんは日本のことが好きなんだから、日本へ留学してみたらどう?」と声をかけられました。しかし、「日本語ができないと難しいのでは」という話になり、日常会話くらいはできた方がいいだろうと考えるようになりました。
「日本は留学費用が高い」というイメージが残っていたため、利用できる奨学金がないか自分で調べてみたところ、文部科学省(MEXT)の奨学金があることを知りました。調べてみると非常に人気が高く、毎年数千人規模の志願者がいる中で、採用されるのはほんのわずかだと聞いていたので、最初は「これは無理だろう」と諦めかけましたが、応募条件をよく読むと「日本語ができること」は必須条件になっていなかったのです。「他の応募者と差別化できる強み(日本語力)を作れば、チャンスが広がるのではないか」と考え、独学で日本語を勉強し、インドネシアで日本語能力試験2級(現在のN2相当)を取得しました。
この戦略と運も手伝って、奨学金もいただくことができ、筑波大学大学院人間総合科学学術院に入学することになり、日本でのスタートラインに立ちました。
――大学院では基礎研究を学んだそうですね?
2014年に筑波大学に入学した際、私はまず1年間「研究生」としてスタートしました。すぐに博士後期課程に進まなかったのには理由があります。それまでは臨床医として患者さんを診る勉強や仕事しかしておらず、基礎研究についての知識が全くなかったからです。
臨床医の教育では基礎科学(ベーシックサイエンス)は主に1年目などで学ぶ程度。そのため、私は「ピペットの使い方はこれで合っているのかな?」というレベルでしたので、教授に相談し、「1年間、研究生として基礎研究の準備をさせてください」とお願いしました。
この1年間のリサーチ期間は、チャレンジと学びの連続でした。まずは日本での生活面でのカルチャーショック。インドネシアにはない「曜日ごとに燃えるごみ、燃えないごみ」といった細かなごみ分別や、エスカレーターで片側に寄って立つマナーなど、日常生活のいたるところで生活文化の驚きがありました。また、日本語能力試験2級を持っていても、実際の現場で話す日本語が全然違う(笑)。運よく、当時のメンターである柴綾先生は、英語がペラペラで、研究だけでなく日本の文化やマナーなどをとても丁寧に教わりました。大変な1年間でしたが、「自分が選んだ道だからがんばってどうにかしよう」と決意し、一歩を踏み出しました。
2015年に、正式に博士後期課程へ進学しました。当時は診断病理学の野口雅之教授(肺腺がんの「野口分類」を提示した研究者)の研究室に所属しました。そのような誇りある研究室で野口先生から直接指導を受け、勉強できたことには今でも深く感謝しています。
――ご自身が感じた研究と臨床の違いを教えてください。
博士後期課程での研究生活は、臨床医としての経験があった私にとってまったく異なる世界でした。臨床医はすでに存在する薬や添付文書、エビデンス(科学的根拠)に基づいて患者さんに処方し、治療を行います。私がインドネシアで医師を務めているときは「そのエビデンスがどのように作られているのか」まで深く考えることはありませんでした。
しかし、研究者の立場になると、1つのエビデンスを出すことがどれほど大変かを思い知らされました。実験をやっても何回も何回も失敗し、「もうダメかもしれない」と思うほど失敗しました。ですが、これこそが研究の醍醐味といいますか「失敗したからこそ、別のやり方や新しい切り口で試してみよう」と。
臨床医の現場では、患者さんの命を預かっているため失敗は決して許されません。それに対して、博士後期課程の研究では「実験で失敗しても、そこから学んで次に生かせば大丈夫」というメンタリティを得ることができました。研究に取り組むことで、必ず新しい気づきや成長が得られる点が大きな魅力だと思います。
――新卒で日本の製薬企業に入社した理由をお聞かせください。
博士号を取得した後のキャリアパスについてですが、当時は3つの選択肢を考えていました。1つ目は「インドネシアに戻って臨床医をする」、2つ目は「日本の医師免許を取得して日本で臨床医になる」、3つ目は「研究者・アカデミアの道に進む」です。
しかし、日本の医師免許を取得するのは簡単ではなく(外国の医師免許から切り替えるには日本の医師国家試験を受ける必要があり)、ハードルが高く、「かんべんしてよ」と感じました。
一方で、せっかく修得した研究の経験も生かしたいという思いがありました。また、野口先生からは「うちの研究室でリサーチャーとしてアカデミアの道を進んではどうか」というお話もいただきましたが、やはり臨床への思いも捨てきれず、「臨床の知見と研究の経験の両方を生かせる道はないか」と悩んでいました。
そこで、筑波大学構内にあるスチューデントプラザに相談に行きました。アドバイスをいただいて、最終的に「製薬会社という選択肢があるのではないか」という答えに行き着きました。当時は外国人留学生として日本の就職活動の仕組みがよく分かっていませんでしたが、スチューデントプラザで面接対策など手厚いサポートをいただきました。みなさんも迷ったときは、ぜひ相談に行ってみてください。
最終的に「日本の社会人として挑戦しよう」と決めました。博士号(博士後期課程)保持者の多くは、製薬会社に入る際、中途採用(キャリア採用)枠で入社することが一般的です。しかし、私はあえて「日系企業の新入社員(新卒採用)」として入社する道を選びました。
外資系企業では中途採用が主流ですが、日本で働く上では、社会人としての「基礎」をしっかり身につけることが重要だと考えたからです。大学院生時代に一般的な就職活動を行い、選考を受けた数社の中から最終的にエーザイ株式会社に入社しました。
中途採用は給与面などの魅力がありますが、新入社員として入社したことで、名刺の渡し方やマナー、顧客(医師や医療従事者)とのコミュニケーション方法など、ビジネスの基礎の基礎から研修を受けることができました。振り返ってみても、報酬や条件ではなく「基礎をしっかり学べる道」を選んで本当に良かったと感じています。基礎が強ければ、その後のキャリアでどのような選択もできるようになります。また、製薬企業で働くカルチャーは大学の研究室とは大きく異なり、新しい挑戦でした。
――自身の経験を通して、後輩へのメッセージをいただけますか?
自分のスキルや経験を生かせる場所は、アカデミア(大学・研究機関)だけではありません。現在、修士課程や博士課程に在籍し、卒業後の進路に悩んでいる方も多いと思いますが、大学の先生を目指す以外にも多様な選択肢があります。
スチューデントプラザや先生方に相談したからこそ「こんな選択肢もあるんだ」と知りました。早い段階でさまざまな「出口(将来の選択肢)」を知っておくことで、現在の研究や勉強に対するモチベーションや強みもより明確になります。
キャリアは必ずしも「一直線」に進むものばかりではありません。私自身も遠回りをしたり、あちこち進路を変えたりしながら進んできました。一番重要なのは「挑戦する意識」です。今できることに全力で挑戦していけば、道は開けていきます。