
勝野 美江さん
所属:高崎健康福祉大学 農学部(アグリビジネスコース)教授
修了学位プログラム:人間総合科学学術院 人間発達科学
筑波大学大学院人間総合科学研究科 生涯発達科学専攻
取得博士号:博士(生涯発達科学)
修了年度:2015年度
徳島県出身。大学農学部を卒業後、農林水産省に入省。 農水省では「食育」の推進に強く関与し、2005年頃の「食育基本法」制定時には担当者を務めた。勤務しながら筑波大学大学院東京キャンパス(東京・茗荷谷)に進学。社会人大学院生として業務と研究を両立させ、2016年3月に博士(生涯発達科学)の学位を取得した。
35年間勤めた農林水産省を早期退職後、現在は高崎健康福祉大学教授に着任。同大学のアグリビジネスコースにて、「農業経営をどのように行えば収益化できるか」などをテーマに、学生たちとともに考え実践する教育・研究活動に取り組んでいる。
――農水省での仕事とキャリアの変遷について教えてください。
農林水産省では、例えば介護食品(スマイルケア食)の推進を担当しました。超高齢社会の中、市場規模が拡大し、噛むことや飲み込むことが難しい方に柔らかい食品を提供する事業者が増えていました。私はこうした産業の育成と、利用者のウェルビーイング向上という双方の観点から仕事をしました。ほかにも途上国の栄養改善プロジェクトや、ユネスコ無形文化遺産に登録された「和食文化」の保護・継承事業にも携わりました。
2016年、ローマで「和食と地中海食」に関するシンポジウムを企画・開催した直前に博士号を取得しました。その後、東京オリンピック・パラリンピック準備のために内閣官房(オリパラ事務局)へ異動。日本の食文化発信や自治体との交流(ホストタウン)事業などを担当しました。
2021年には徳島県副知事に就任し、大阪・関西万博に向けた庁内プロジェクトチームの立ち上げなどを行いました。農水省に戻った後は大臣官房審議官として、若手職員による政策提言プロジェクト(「アスリート×農業」など)のスーパーバイズを担当しました。その後は再び和食推進の担当を経て、2026年4月に現在の高崎健康福祉大学へ着任しました。
――常に食や食育に関わる仕事をされています。農業に携わるご自身の原動力はどこにあるのでしょうか?
徳島で田んぼに囲まれて育った私は、周囲の農地が急速に減っていく様子や、バブル期の農業軽視に対する強い危機感から、「生産者と消費者の距離を縮め、農業の大切さを伝えたい」という一心で農林水産省に入省しました。当時はまだ食育を担当する部署がなかったため、個人的な草の根活動からはじめ、周囲からは「一人NGO」と呼ばれるほどでした。そうした活動の中で出会った環境教育を通じ、自分たちの出したゴミの行き先や、提供される料理、食べ物の生産過程が見えないブラックボックス化こそが、環境問題や農業に対する無理解の根本原因だと気づきました。
実は4歳のとき、保育園の給食が食べられず、一度保育園を退園するという人生初の挫折を味わいました。つらい体験でした。その後、なんでも食べられる食いしん坊になるのですが、このときの食への強い執着や原動力になっているのかもしれません。高校時代テレビで「砂漠化で食料がなくなる、将来食料不足になるかもしれない」という報道を目にして「大変だ、食料確保するには農学部だよね」と意識して選択したのが始まりです。
食のプロセスをどう体感できるのか、総合的な学習の時間のモデルとなった伊那小学校(長野県)をはじめ、農業体験に取り組む教育現場を積極的に取材して回りました。その後、農政局に勤務した際に、子どもたちのもとへ直接出向く「出前授業」をスタートさせました。
授業では、同じ料理名なのに地域や家庭によって内容が異なる「お雑煮」を題材にして子どもたちから「食は文化だ!」という自発的な気づきを引き出したり、野菜の断面をその場で切って見せることで「種は命なんだ」と直感的に理解できるよう工夫を凝らしました。五感を通じて深い学びを得ると、子どもたちは「早くお母さんや弟に教えてあげたい」と走って家に帰るほど劇的な変化を見せてくれます。そうした子どもたちの感性と姿に、私自身が大きな感動をいただいていました。
――さまざまな業績をこなされた中で、大学院入学を決めた理由を教えてください。
農政局から農水省に戻った際、最初は食育とは無関係の部署に配置され、もどかしい思いからプライベートで米作り体験支援などを行っていました。その後ついに念願の食育担当になりました。「食事バランスガイド」や「教育ファーム」などを担当しましたが、当時は「子どもの農業体験が食育にどんな効果があるのか、エビデンス(科学的根拠)がない」と指摘を受けました。予算を獲得し「いよいよこれから」というタイミングで異動となり、悔しい思いを残したまま本省の食育担当を離れることになりました。
しかし2008年、文部科学省の科学技術政策研究所(上席研究官)へ出向したことが転機となります。周囲が博士号取得者ばかりの環境で何冊もの研究レポートを執筆するうちに、「自分は研究に向いているかもしれない」という手応えを得ました。やり残した「教育ファーム(農業体験活動)の効果のエビデンスを自分自身で証明したい」という思いと、40歳という人生の折り返し地点に立ったことが重なり、社会人大学院への進学を決意しました。
――大学では農学を学んでいます。人間総合科学学術院で農学ではなく心理学を選んだのはなぜですか?
昔から心理学に強い関心があり、大学受験時も農学部と心理学部で迷ったほどです。農水省で子どもたちと触れ合う中で、農業体験は単なる「農業の理解」にとどまらず、子どもの「人間力向上」や心の成長を大きく促す力を持っていると気づきました。そのメカニズムを解明するには、農学ではなく心理学からのアプローチが必要不可欠だと感じたためです。
――農業と心理学を掛け合わせた博士論文について教えてください。
指導教授である藤生英行先生(人間系・心理学)の後押しもあり、修士課程からそのまま博士後期課程の入試を受け、合格。働きながら修士、博士併せて5年で博士号を取得しました。
在籍していた同期には学校の教員やお医者さんなどもおり、皆ストレートで修了しました。各自が身銭を切って学んでいたため、モチベーションが非常に高かったのだと思います。在学中にはスイスのローザンヌで開催されたヨーロッパ発達心理学会でポスター発表を行いました。
私の博士論文は、行政の現場で証明しきれずにやり残していた「教育ファームのエビデンスを自らの手で明らかにしたい」という思いから、「米作りの体験活動」をテーマに研究したものです。子どもたちが米作りを通じてどのような学びや喜びを得るのか、また家庭環境や学級担任、地域の農業関係者といった周囲の環境がどう影響を与えるのかを明らかにしようと試みました。
研究で特に注目したのが、子どもたちが自ら発見し「やってみたい」と感じる「動機づけ(モチベーション)」の仕組みです。既存の学習動機づけの尺度を応用し、独自に「米作り体験活動への動機づけ尺度」を開発しました。そして、田植えの前から稲刈り・収穫後に至るまで、子どもたちの意識が「楽しいからやる(内発的動機づけ)」のか、「将来や自分のためになるからやる(高自律的外発的動機づけ)」のか、あるいは「叱られたくないからやる(低自律的外発的動機づけ)」のかという変化を縦断的に追跡・測定しました。
分析の結果、とりわけ大きな変化が見られたのは、日頃から家庭で「食べ物に感謝して食べなさい」と声をかけられている子どもたちでした。そうした子どもたちは、米作り体験を経ることで「楽しいからやる」という内発的な動機づけだけでなく、「自分のために前向きに取り組む」という意識も顕著に向上することが分かりました。普段親から言われている言葉と、実際の体験が合致する「記号接地」が起きた瞬間に、子どもたちの心の中に確かな学びと大きな成長が生まれるのだということを、統計データをもって実証することができたのです。
博士号の取得過程は「生みの苦しみ」と「発見の喜び」が8対2ほどで、エベレストに登るような大変さがありました。しかし、同じ苦しみを持つ社会人大学院の仲間や、親身に相談に乗ってくださった先生方の存在が支えとなりました。
――働きながらの論文執筆やデータ収集はどのように行いましたか?
主に心理統計(IBM SPSS Amosを用いた構造方程式モデリング等)を使用して分析しました。地域や学校の協力を得て、同じ児童を対象に「田植え前・田植え後・収穫後」の3時点で縦断調査を行いました。対象とした小学5年生(社会科で農業を学ぶ学年)のデータを集めるため、教育委員会にお願いに行き、校長先生に毎朝電話をかけて協力をお願いするなど、泥臭い信頼関係づくりを徹底しました。
――博士取得後に役に立ったことはなんですか?
博士号を取得してからこの10年を振り返ってみると、あらゆる場面でその経験が私の大きな力になってくれたと実感しています。
まず行政の現場では、統計的に有意かどうかといった学術的な視点を踏まえて論理的に文章をチェックし、作成できるようになりました。また、カウンセリング心理学を修めたことで、職場の部下や職員のメンタル面に配慮し、モチベーションを引き出すマネジメントに生かすことができました。農水省での働き方改革や農業経営者のマネジメント、徳島県庁で子どもたちの自主性を育むモデル事業や万博に向けた「徳島まるごとパビリオン」を推進できたのも、心理学の知見があったからこそです。
何より印象的だったのは、海外の方々と仕事をするときに博士号(Ph.D.)が強い武器になったことです。オリンピック・パラリンピックのホストタウン事業で外国の大使と仕事をしていた際や、ローマでシンポジウムを企画した際、名刺を渡すと皆さん「ドクター勝野」と呼んで深いリスペクトを示してくださいました。日本ではまだ馴染みが薄いかもしれませんが、国際舞台では確固たる信頼の証になると身をもって知りました。
そして大学教員へ転職できたのも、博士号を取得していたからです。現在はゼミ生の卒論指導や日々の講義を担当していますが、自分自身が苦労して博士論文を書いた経験がそのまま学生への指導に生きています。授業では可能な限り「教えない授業」を目指し、事前に「心理的安全」を確保する約束を交わしたうえで、学生たちが自発的にワクワクしながら学べるような環境作りをしています。あのとき、苦労して博士号を取ったからこそ、いまこうして「苦しくも楽しい」やりがいのある毎日を送ることができています。
――仕事と大学院での研究の両立について、どのように時間を捻出しましたか?
修士1年目は特に講義が多く、平日の18時15分からの授業と土曜日の終日講義に通いました。職場(霞ヶ関)から大学院(茗荷谷)までは丸ノ内線で一本だったため、職場の理解を得て「今日は講義があるので定時で上がります」と周囲に宣言して通いました。土日は時間をすべて研究に充てました。「学費を払っている以上、すべてを吸収する」という貪欲な姿勢で臨みました。
――実務での経験と、学術研究とのギャップにどう向き合いましたか?
実務は「あれもこれも解決したい」と大風呂敷を広げがちですが、学術研究は課題を針の穴を通すように限定し、1ミリの進歩を証明する作業です。最初は論文の焦点を絞り込む過程で葛藤がありました。
しかし、心理学分野で農業体験を研究している人は世界的に見てもまれであり、「自分にしかできない研究だ」という使命感がモチベーションになりました。現場の農家さんや行政で頑張る人たちの役に立つエビデンスを作るという目的意識がギャップを乗り越える力になりました。
――社会人を経験してから博士号を取得することについて、後に目指す人へアドバイスをいただけますか?
社会人を経験してから研究を深める道も、ストレートで博士に進む道も、どちらも素晴らしい価値があります。人生に無駄な経験は一つもありません。今目の前にある研究や課題に誠実に向き合っていれば、将来どのようなキャリアに進んでも必ずそれらが繋がっていきてきます。